東北大学総合学術博物館

THE TOHOKU UNIVERSITY MUSEUM

日本列島の形成

深海底探査が本格化した1960年代、それまで目に見える科学的証拠として知ることのできなかった深海底に連なる山脈や海溝、海底下の堆積層や断層などが次々と明らかとなっていき、それまでの地球観は大きく変わっていきます。

そんな時代に日本の地質学者はどのようにプレートテクトニクスの概念と日本列島の形成史を結びつけていったのでしょうか?プレートテクトニクスで日本列島形成が論じられるようになる前は、日本列島をはじめとする陸地や山脈は地向斜という地質構造の形成によってできていると考えられていました。

この概念はもともとアメリカ人のジェームズホール(1811〜1898)がアメリカ大陸の東側に連なるアパラチア山脈の成因を考察する中で生まれた理論でした。山脈を形成する地層は非常に厚い堆積層で褶曲が見られるのに対し、山脈の麓の高原の地層は岩石自体は似ていたのに地層はそれほど厚くなく褶曲による変形も少なかったのです。

そのことから、山脈の成因は、次のように理解されました。

もともと山脈を形成するような地層は非常に分厚く堆積している場所に形成するものである。①分厚く堆積した地層の底は近く深くなり、②底にはマグマが生じることによって③マグマ周辺に変成岩を形成しながら、④地層は隆起して山脈となっていく。

地向斜の概念

そうすると、次の疑問は、では、山脈を形成するような分厚い地層はいったいどのような場所で形成するのかということでした。

例えば、ヨーロッパの地質学者は地向斜という概念をアルプス山脈に適用しようとしました。2回目で紹介した1872年から1876年にかけて行われたチャレンジャー号の調査に参加した地質学者たちは、海底の堆積物に含まれる化石がアルプル山脈の地層に見られるものと似ていることを発見したのです。

アパラチア山脈もアルプス山脈もどちらも大きな大陸内にありますが、アパラチア山脈は深海の堆積物に覆われているわけではなく、そこから地向斜にも色々な種類があるという説ができるようになります。

アルプス山脈を形成するような地層が堆積したのは深海底のような場所であり、そこに分厚い地層が堆積し、マグマができて、地層は隆起して大きな山脈になります。例えば、オーストリアのエドアルト・ジュース(1831〜1914)という有名な地質学者は、地向斜により山脈が生まれる力の原動力は、地球はかつて火の玉のように熱く、時間が経ってその熱が冷めるに従い地球が収縮したためだという説を唱え、そのような理論が世界の地質学者に広がっていきました。

地向斜の特徴は大地が垂直方向に動くという考えが主であり、この点が、プレートテクトニクスによる水平方向の動きと大きく異なります。そして、どちらの説に関しても、このような大きな大地を動かす原動力の説明方法も大きなテーマでした。第3回「プレートテクトニクスの発展」でも書いたように、深海底掘削によって中央海嶺の存在が示されたのは1957年のことです。

次の章では、地向斜からプレートテクトニクス の移り変わりについてみてみます。

参考文献:

D. Haywick, 2006, Evolution of Plate Tectonics as a Theory, 2006, GY 112 Lecture Notes https://www.southalabama.edu/geology/haywick/GY112/112lect6.pdf

Kenneth J. Hsü(訳:高柳洋吉), 地球科学に革命を起こした船. 東海大学出版会。

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