東北大学総合学術博物館のすべて Ⅷ 「中国・朝鮮国境の大活火山 白頭山の謎」

これまでにわかったこと

噴火の年代決定は、古文書記録の記述のみで決まるわけではありません。例えば十和田火山平安噴火の場合、『扶桑略記』裡書・延喜十五年(915年)七月十三日条には『出羽国言上雨灰高二寸、諸郷農桑枯損之由』と出羽(現在の秋田県)で灰が降って農作物に被害がでたとあるのみで、十和田火山の噴火とは書かれていません。出羽で降灰をもたらす活火山は鳥海山がありますが、その時代の堆積物に鳥海山起源のものはありません。一方、秋田県内には十和田火山の火山灰が現在も5cm未満の厚さで残されていることから、この記述が十和田火山の噴火を示していることが推定されます。これに加え、東北地方の考古遺跡の発掘調査において、十和田火山の火山灰が歴史記録から870年と934年に対応する遺物を含んでいる層の間にあること、十和田噴火の噴出物によって埋まった建物の柱の材木が年輪年代学の分析によって902年以降に切られたものであることがわかっており、この記述が十和田火山の火山灰に関連した記述であることを裏付けています。さらに、噴出物中に埋まった樹木の表皮の組織分析から、樹木が埋まった季節は木が成長する夏であることがわかり、記述にある日付と矛盾がないことも、年代推定の確かさを示しています。

では、白頭山の10世紀噴火ではどうでしょうか。古文書記録は見つかっていませんが、すでに噴出物に埋まった樹木の年代や、噴出物の分布や規模もわかってきています。加えて十和田火山の場合と同様に樹幹試料の表皮組織から噴火は冬であったことも指摘されています。そのため、ある場所での降灰を記した古文書の記述が見つかれば、噴火がいつ起こったかを決めることができます。今後、これまで様々な理由により調査が不十分である朝鮮に保管されている古文書についての調査が待たれるところです。