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図版 5

Fortipecten takahashii (Yokoyama, 1930)

タカハシホタテ

 



大形のほたて貝で、竜の口層の代表選手のひとりであるだけでなく、この時代を代表する貝。
   
分類
  軟体動物門 二枚貝綱 翼形亜綱 ウグイスガイ目 イタヤガイ科
  Phylum Mollusca, Class Bivalvia, Subclass Pterimorphia, Order Pterioida, Family Pectinidae
   
時代
  新生代新第三紀鮮新世前期(約500万年前)
分布
  福島県,宮城県,岩手県,青森県,北海道,サハリン(化石産出)
生息深度と底質
  水深10mから50mくらい,細砂底~細砂泥底,表生~半内生(推定)
   

同定のポイント

Fortipecten 属

大形で、右殻の膨らみがとても強い、ほたて貝。左殻は平ら。放射肋が手の骨を思わせ、全体でグローブのような印象を受ける。耳が大きい。

 

 



原記載
Yokoyama, 1930 :
 
Tertiary Mollusca from South Karafto
[ Journal of Faculty of Science, Imperial University of Tokyo, Section 2, Vol. 2, Part 10, p. 407-418 ] p. 416-417; pl. 78, figs. 1, 2; pl.79
 

横山又次郎,1930年:

 
南樺太産第三紀軟体動物
[東京帝国大学理学部紀要]
 
Pecten takahashii, nov. spec.
 
Holotype  
Paratype  
 

 
(和訳)殻は大形、重厚、丸い、いくぶん縦長、きわめて不等殻、耳を除いて等辺状。右殻は強く膨らんで、膨らみ具合は殻高の1/3ないし2/5に匹敵する、放射肋をともない、その肋は約14個、均等、直線状、丸まる、肋間よりも狭い、成長の中断により時折横線が引かれ、その場合、交差点は多少こぶ状になる;耳は不均等、三角形、前耳は後耳よりも大きく、下部に浅い足糸ノッチがある。左殻はほぼないし全く平坦、放射肋をもち、肋数は10ないし12個、いくぶん不均等、幅は狭い、上面は丸まる、肋間よりのずっと狭い、成長の中断により時折こぶ状に成る;肋と肋間にはともに細い放射条が見られることがある;耳は不均等、三角形、前耳は後耳よりも少し大きく、粗い成長線を伴う。両殻の内縁は、粗い鋸歯状である。

 いくつかの実例。ある標本は、殻高133mm、殻長126mm、殻深40mm。別の標本は、殻高130mm、殻長118mm、殻深56mm。

 この貝は、総体的に見れば Pecten poculum Yokoyama (Tertiary Mollusca from the Oil-fields of Embets and Etaibets, pl. 32, figs. 1-3) に似ているが、肋の数が少なくて粗である。

 化石産出-元泊郡 Higashi-Sakutan, Isos

end



他の記載:[新亜属 Fortipecten の提唱]
Yabe and Hatai, 1940 :
 
A Note on Pecten (Fortipecten, Subg. nov. ) takahashii Yokoyama

[ Science Reports of the Tohoku Imperial University, 2nd Series (Geology), Vol. , No. , p. 147-160 ] p. 149-160 ; pl. 34, figs. 1-9; pl. 35, figs. 1-9

 

矢部長克・畑井小虎,1940年:

 
Pecten (Fortipecten, 新亜属 ) takahashii Yokoyama に関するノート
[東北帝国大学理科報告 第二類(地質学)]
 
Pecten (Fortipecten, subg. nov. ) takahashi Yokoyama, 1930
 

 

(和訳)Pecten takahashii の存在は、1930年に横山又次郎によって初めて公表されたが、我々にとっては、仙台周辺に分布する竜の口層に産する非常に特徴的な貝として知られていた。その特徴さのゆえ、我々著者のひとり(矢部長克)は Y. Tomita(以前は Nagoya )と協同し、その帆立貝を、帝国地質調査所の前所長である故 T. Wada 博士に敬意を表して、Pecten wadai と名付けた。しかし、その記載および図は手記の形態で残されたままであった。その手記の記載(図版34,図4-6)は以下のごとく書かれていた。

 「殻は大型、長さは130-140mmに達する;殻は分厚く、重い;不等殻、等辺状に近い;殻盤[disc]は亜円形、概して少し横長、両サイドは直線状で底辺は一様に丸くなっている。

 右殻は、凸面状、その奥行きは40-50mmである;殻盤は、10-13本の強い放射肋と、いくつかの縁辺部近くの放射細肋[radial riblet]を備えている。 肋は、ほぼ均等、背が低い、やや狭くて丸い;肋間は、やや平らで、肋よりも幅広く、底辺部で3倍の幅をもつ。殻盤の表面全体は、多数の放射条と、細かな同心状成長線とで装飾されていて、その成長線は、年毎の成長の断絶を示す、多くの隔たって区別的なラインを持っている。放射条は、いくぶんウロコ状で、通常肋間部の方が肋の上面部よりもよく保存されており、縁辺部に近いところの方が他よりも顕著に発達している。咬線は、長さが約100-110mm、大きなほぼ均等の耳を伴う。前耳は、浅い足糸ノッチと、押しつぶされた足糸エリアをもつ;表面には、たくさんの痕跡的な幅の狭い細肋と、やや目立つ屈曲した増加線[incremental line]が見られる。後耳は、直角に切断されたようになっていて、前耳と同様な放射細肋と増加線が見られる。殻盤の内面は、ほぼ平滑で、底辺部で少し波打っている;筋痕はほぼ円形。弾帯受は三角形で、高さ10mm、幅15mm、その側部の縁は、歯のような突起状に持ち上げられている。

 左殻は、ほぼ平坦、そうでなければ少しだけ凸。肋は、10-13本で、殻頂部では、幅狭く尖っていて、より幅広で平らな底面の肋間で隔てられているが、底縁部に向かって次第に幅広くなり、また、上面がまるくなる。底縁部では、肋は、肋間と同じくらいの幅である。殻盤の表面全体は、右殻と同様に、放射条と、同心状の増加線に覆われる。前耳は、後耳よりもいくぶん長い。どちらの耳も、直角に切断されており、多数の放射肋と細い成長線が見られる。弾帯受は、右殻にある対応した突起にぴったりはまる、はっきりと目立つ隆起とはっきりしない溝とによって、両サイドが縁どられている。」

 仙台の東北帝国大学地質学古生物学教室所蔵の標本や、同じく仙台の斎藤報恩会博物館地質部所蔵標本とともに、著者のひとり(矢部長克)が南樺太へ旅した時に N. Zinbo からもらった大量の標本が、バリエーションの程度を調べるために計測された。その計測された標本を以下に示す。

計測(単位は mm)

<計測結果は省略>

 上記の標本の寸法は、保存状態の良好な標本や計測に耐え得る状態のものだけが含まれている。他の多くの良好な標本も調査されたが、かなり破損しているために、この考察からは除かれた。

 南樺太産の標本と、仙台およびその周辺産のものとを比較すると、右殻の膨らみ方について、樺太産の方が膨らみが大きいという、顕著な特徴があることがすぐに認められる。また、左殻の性質については、樺太産の標本は、殻の若い段階の部分で、平坦な表面か、円盤状エリア[disc-area]を持っており、そのような特徴は仙台産のものでは見られないということ、殻の大きさについては、概して仙台産のものが樺太産のものを上回るということも明らかである。さらに、挿入的な細肋と縁辺部付近の細肋の特色については、仙台およびその周辺産の標本ではおそらく非常に多くのバリエーションがある。

 各産地の標本の最大の寸法を以下の表に示す。A:樺太産、B:北海道産、C:仙台およびその周辺産。

産地 殻高 殻長 殻深 肋数

肋間最大

肋間最小 筋痕
A 148.0 139.0 56+ 14 27.0 7.0 65.5×54.5

右殻

A

139.0 139.0 28 11 39.0 10 69.0×55.5 左殻
B 148.5 139.0 50 13 20.5 12 61.0×48.0 左殻
C 160.0 160.0 56 13 24.5 13 - 合弁殻
C 160.0 170.0 48 13 24.0 17 - 右殻

 上記に示された、地理的に隔てられた3つの異なる産地の標本の最大寸法は、次のような憶説を指し示すように思える。つまり、北から南にかけて、殻のサイズは大きくなり、右殻の膨らみは弱くなり、放射肋の間の(最大の)距離は減少する、ということ。このことは、計測された標本により示される一般的な傾向、言い換えれば、リストに上がった数字により示される傾向であるようだ。

 本種における殻の外形は、ほぼ真円形から亜円形へとさまざまである。南樺太産のものでは、右殻の膨らみは、106~146mm のサイズの範囲の標本で、38~56mm の間で変わり、左殻は、98~139mm のサイズ範囲の標本で、10~28mm の間で変わる;仙台およびその周辺産の標本の右殻は、120~160mm のサイズ範囲のもので、27~52mm の間であり、左殻は、73~129mm のサイズ範囲のもので、17mからほぼ平らの間である;一方、北海道産の標本では、右殻の膨らみは、サイズ範囲が124~128mm の時、50~59mm の間である。調査した標本の右殻の放射細肋の数は、10~14本の範囲で、もっとも普通には12~13本である。一方、左殻の場合は、一般的には10~11本で、7~12本の範囲におさまる;これは、南樺太産の標本に関してである。仙台およびその周辺産の標本では、右殻の放射細肋の数は、11~14本の範囲で、もっとも普通には11~13本であり、左殻の放射条の数の範囲は8~11本で、もっとも普通には10~11本である。北海道産の標本では、標本点数はわずかではあるが、放射肋の数の一般的な範囲は12~13本である。

 各放射細肋間の距離は、殻の腹縁部で測定されたが、南樺太産の標本で、右殻では8~28mmの範囲、左殻では10~39mmの範囲である。仙台および周辺産の標本では、右殻で9~26mm、左殻で11~20.5mmであり、また、北海道産のものでは、12~20.5mmの範囲である。ここに示された数字は測定値の最大値と最少値であって、通常観察される標本を表してはいない。概してそんなにそれぞれの相違はなく、緯度が増加ないし減少につれて放射肋が互いに近づいたり離れたりするといった一般的な傾向はない。値のバリエーションの細かな特徴は、数字からでは測れなかった。目で認めることはでき得るのではあるが。

 Pecten (Fortipecten) takahashii Yokoyama は、大型の殻、長い耳、直線状の咬線、右殻が通常左殻の2倍かそれ以上膨れているという不均等な両殻の膨らみ、弱いカーディナル・グルーブ、浅い足糸ノッチ、両殻の弱い放射細肋の存在、肋の頻繁なこぶ状ないし圧縮された構造、重厚な殻、および、単純な肋により、特徴づけられるが、それらの特質によって、日本の Patinopecten のメンバーからは区別することができる。

 FortipectenPatinopectenLyropecten といった亜属に系統的に結び付けられる亜属で、中新世の終わりから鮮新世の始まりの間に、Patinopecten(加えてLyropecten)の系統から分岐したのであろう。というのは、中新世の堆積物中には産出が知られていないから(東北帝国大学地質学古生物学教室のメンバーにより現在まで調査された限りでは)。この亜属が Patinopecten 系統から分岐したのならば、Pecten (Patinopecten) yessoensis*(1) Jay や P. (Patinopecten) yamasakii*(2) Yokoyama (加えて P. tryblium Yokoyama*(3) )のような種との関係が、この亜属の進化の道への鍵になるかも知れない。それら2種についての研究が進歩するまで、結論的な論評は差し控えたほうが良いであろう。

 南樺太産のFortipectenの異常に厚い殻は、生息環境と密接な関連があるのかも知れない。というのは、Fortipectenの地理的分布の南限にあたる仙台付近産の標本は、南樺太産のものに比べてずっと殻が薄いから。冷たい水域に棲んでいる貝の方が、暖かな水域に棲んでいるものよりも、一般的に殻が薄く、また、そうした特徴は、地理的分布が南北に広がっている貝について最もよくみられる。Pecten takahashii はその良い例である。

 Pecten takahashiiの模式地から、横山又次郎は、Pecten agnatus Yokoyama(1)という別の帆立貝の産出も報告しているが、それはPecten takahashiiと非常によく類似している。横山又次郎は以下のようにPecten agnatusを記載している。

 「あるひとつの右殻は、中庸な大きさ、やや薄い、凸状、円形、いくぶん横長、耳を除き等辺状、放射肋を持ち、その放射肋は、約15本、均等、直線状、狭い、上面が丸い、ずっと幅広の肋間で隔てられている。耳は不均等で、前耳は後耳よりも大きい。足糸ノッチが存在し、浅い。殻高62.5mm、殻長66mm、殻深15.5mm。」

 Pecten agnatusの図と記載から判断し得る限りでは、極端なバリエーションを示すPecten takahashiiに過ぎないことが明白であると思える。というのは、その放射肋の数や形体が、殻の外形や全体的特徴とともに、われわれの手元のP. takahashii の標本のなかに、よく見受けられるからである。結果として、P. agnatus が特定の種名を与えられるべきであるか、または、P. takahashii のシノニムとして位置付けるべきであるかどうかは、個人的な見解によるのかも知れない。しかしながら、現時点ではP. takahashii として位置付けるのが最良であると思える。

 J. P. Khomenko により記載された(2)、北樺太の Piltun 川と Paromay 川の間にある Supranutovo 統産の、Pecten piltunensis は、野村七平により(3)、Pecten takahashii のシノニムとして位置付けられた。しかし、野村七平は、Pecten piltunensisとして図示されたものがすべてP. takahashii に属するのかどうか言及することはしなかった。 J. P. Khomenkoの示した図から判断すると、図版2の図1,2、図版1の図6は P. takahashii に属し、図版1の図7,8は断片で図からは断定できず、図版2の図3~6は別種であることが疑いないようである。図版2の図5,6は左殻であるというが、その殻の模様から判断すると、P. kagamianus Yokoyama(4) に似ている。図版2の図3は、P. takahashii の一形態としてはあまりに肋が多すぎる。図版2の図1,2にしても、放射肋の格好がすこし異なるので、P. takahashii の真の形態ではないかもしれない。P. kimurai Yokoyama(5) は、J. P. Khomenko がP. piltunensis としたものに近い種であるかもしれないが、後者は放射肋の数が多い。

 U. S. Grant and H. R. Gale(1) により記載および図示された、カリフォルニアの新第三紀層産の Pecten のうちで、Pecten (Vertipecten) nevadanus Conrad は Pecten (Patinopecten) takahashii Yokoyama の変種の形態にいくらか似ているが、殻の膨らみ具合と放射肋の格好が異なっている。

 R. Arnold(2) により記載および図示された、カリフォルニア州 Santa Barbara 郡 San Raphael Hills の鮮新統産の Pecten (Patinopecten) caurinus Gould は、殻の大きさや、全体的な輪郭、肋の構成、産出する地質時代において、P. takahashii に非常によく似ている。しかし、日本産の種は、より大きな耳を持ち、左殻そして右殻も同様に、放射肋の数が少なく、右殻の膨らみがずっと強いことで、カリフォルニア産の種から区別することができる。

 日本産の種は、上述のカリフォルニア産の caurinusnevadanus に非常に近い種類だけれども、その日本産の種とカリフォルニア産の種との間の真の類縁関係は不明である。また、北太平洋の両サイドの第三紀層に共通する Pecten の種がいくつかあって、非常に多くが[?何の数か?]きわめてよく似ているということが、言われるかもしれない。同様に、太平洋の両サイドで共通する貝類の種の数は、決して少なくなく、この強い類似は、第三紀の海洋における二つの大陸の間の生物移動の問題に密接な関連をもっていることはほとんど否定できない。

 Pecten takahashii は、種名が献名された Takahashi 氏によって、南樺太の「Motodomari-gun、Higasi-Sakutan、Isos」の層準不明のところから採集された標本に基づいて、横山又次郎が1930年に初めて記載したものなので、日本の新第三紀層との関連を確定できるようにするためには、もし可能ならば、この種の層位学的位置や地質年代および年代の範囲を決定することが、いま必要である。この帆立貝の産出が知られている層準の簡単な(要約的な)調査がなされれば、横山又次郎の標本が産出した層準の地質年代を決めることが可能かもしれない。

<以下、仙台およびその周辺域、南樺太、北海道における Pecten (Fortipecten) takahashii の産出層準と年代に関する記述(省略)>

 以上の、Pecten takahashii Yokoyama の産出が知られているいろいろな地域での、P. takahashii と随伴する動物群の層位学的な位置を示した記述から、この特異な帆立貝は、その年代の範囲が、東北帝国大学地質学古生物学教室のメンバーにより現在用いられている意味での鮮新世(初期ないし中期鮮新世)に限定されているということ、そして、この化石種が産出するのは鮮新統下部かあるいは中部であるということが言える。したがって、日本の新第三系に見られる Pecten (Fortipecten) takahashii Yokoyama は、年代決定のためと、層準の標識のための重要な要素であるとみなすことができ、その叙述は、随伴する動物群を調査することにより、いっそう確固たるものとなる。

end