ミニ展示 「有明海、諫早湾干拓地で何が起きたのか?」

第2回 有明海、諫早湾干拓地で何が起きたのか? 
                              
2001.5~8

2001年5月~8月に、「研究紹介:有明海・諫早湾干拓地で何が起きたのか?-貝類研究から言えること-」を開催しました。九州の有明海西方にある長崎県諫早湾では、1997年4月に潮受け堤防の締切りが行われました。このミニ展示では、諫早湾干拓地において潮止め前後に見られた貝類の変化について、当博物館スタッフのひとりが実際に行なった研究成果の一部を紹介しました。

諫早干拓地が完全に回復するまで何年くらい必要?
早くて10年、遅くても数百年で完全に回復すると思われます。
韓国には諫早湾干拓事業よりも先(1991年1月)に潮止めが実施され、その後の水質悪化を止めることが出来ずに水門を解放した例があります。その場所は始華湖と言いますが、1996年10月から水門を解放して干拓調整池に海水を流入させています。その結果、水門の近くでは調整池の水質が改善され、数種類の貝類や多毛類の生息が確認されています。
しかし、水門から遠い調整池の奥部や、干上がった潮間帯部分では、水門を解放してから約4年後の2000年8月においても、依然としてほとんど生物は生息していない状況でした。このことから考えて、一旦干上がった場所に海水が戻り、底質が回復して、多くの種類の底生生物が生息するまでには、早くても10年は必要だと考えられます。
しかし、永遠に生物が戻らないと言うことはありません。今から50万年前までの間には、何度も氷期が到来しましたが、その度に海水準は今よりも100m以上も低下し、諫早湾のような内湾は完全に陸化しました。最終氷期は約1万5千年前にあって、それから約6千年前にかけて、海水準が急激に上昇することで、それまで陸化していた諫早湾等の内湾に海水が流入しました。この縄文海進期には、まさに現在の諫早湾干拓地に海水が流入するのと同じような現象が生じたものと思われます。
その当時の貝化石が各地で見つかっていますが、約7千年前から6千5百年前にかけて、各地の内湾奥部にアサリやハマグリなどの貝類が出現しています。このことから判断して、遅くても数百年あれば、諫早湾干拓地も完全に回復すると考えられます。 このページのTOPへ
日本の干潟にすむ生物の何種くらいが絶滅寸前なの?
調べられた範囲だけでも55種の底生生物が絶滅寸前と評価されています。
1996年に出版されたWWF-Japan サイエンスレポート3巻「日本における干潟海岸とそこに生息する底生生物の現状」によりますと、日本の干潟に生息する底生生物のうち、8種がすでに絶滅したと考えられ、55種が絶滅寸前、208種が危険な状態にあるなど、合計389種が絶滅の恐れがある種と評価されました(和田ほか,1996)。
しかしながら、これは現時点までに生息状況が判明している生物だけの話であり、実際には人間に知られないままに絶滅の危機に瀕している種も多いものと思われます。
諫早湾潮止め後に貝類が増加した海域があるのはなぜ?
データ不足で適切な説明はできませんが、潮流の変化により底質が変わったなどが考えられます。
ミニ展示第2弾で説明しましたが、潮受け堤防の外側にあたる諫早湾口部周辺の貝類の個体数変化を調べますと、潮止め直後(1997年6月)から2年後にかけて、夏に貧酸素水塊が発生した佐賀県沖では貝類が急激に減少したにもかかわらず、貧酸素水塊が発生しなかった島原沖では逆に貝類の個体数が増加していました。貧酸素水塊の影響により貝類が減少したと説明することはできても、逆に貧酸素水塊の影響がないからと言って貝類が増加する理由にはなり得ません。そこには、何らかの要因が絡んでいるものと思われます。
これまでのところ、底質の変化などに関するデータは寄せられていませんが、ひとつ可能性を考えるとしたら、潮受け堤防が作られて潮流が変化したことで、堆積する粒子のサイズが場所により変化したということが考えられます。これについては、今後さらにデータを集めることで検討してゆきたいと思います。

 

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