岡崎義恵先生追悼碑

公開施設、記念碑等

1983年(昭和58年)6月 建立記念式
1983年(昭和58年)6月 建立記念式

岡崎義恵先生追悼碑

岡崎義恵先生(1892-1982)は、高知県高知市に生まれました。東京帝国大学を卒業後、同大学で講師の職に就き、1923年(大正12年)には東北帝国大学で創設まもない法文学部の助教授として迎えられました。 1927年(昭和2年)より教授を務め、昭和30年に名誉教授となります。美学に基づく日本文芸学を提唱した国文学者であり、独創的な学説や新たな学問体系を築き上げました。 1949年(昭和24年)には日本文藝研究会を創設し、日本の文藝研究の発展に尽力しました。 岡崎先生は和歌と書画もよく嗜んだことで知られ、文人としての一面もそなえていました。本歌碑の和歌「みちのおく東北帝国大学の赤松の道黒松の道」は 、短歌集『泉聲』(昭和22年)に収められたもので、連作「大学風景」のうちの第一首にあたります。文系学部が片平丁から川内へ移動する際、 旧制以来の片平キャンパスに岡崎先生の歌碑を建立する構想が持ち上がりました。当時計画に携わった原田隆吉氏は、恩師のこの短歌を選んだ経緯について 「この歌くらいあの片平丁の丁字道路の風景と、そこにたちこめる一世に許された大学の学風と、さらにそれを誇りとした優れた学者やそれを慕い集った学生たちとを、 よく物語るものはないと思っていたからである」と回想しています。当時、歌碑の建立は大学の規制で困難であったため、1975年(昭和50年)に揮毫した書を軸装して大学の財産として 保存することとなり、現在は東北大学史料館が所蔵しています。後に歌碑建立の計画は実現し、原田氏の希望通り片平の赤松並木と黒松並木が交わる位置に設置されることとなりました。

【碑文】
みちのおく 東北帝国大学の 赤松の道 黒松の道 義恵

アクセス

D 学都記念公園