公開施設、記念碑等
法文学部発祥の地
1907年(明治40年)6月、理科大学と農科大学をもって成立した東北帝国大学は、その後農科大学の分離、医・工学部を加えて理学部・医学部・工学部の3学部をもつ大学となりました。 文科系の学部設置は、創設当初より期待されていたものの、国家財政の緊縮と殖産興業政策に必要な人材育成が優先されていたために容易には実現せず、 しばらくの間は理系学科に主力を注ぐこととになります。しかし、その後、第一次大戦の好況に乗じた高等学校の大増設により、増大する高等学校新卒業生を収容する帝国大学の 拡充が求められました。これは、高等学校は官立で、帝国大学の前期ともいうべき性質をもっていたためです。 大学の創設から遅れること14年、1922年(大正11年)8月28日に東北帝国大学法文学部が開設されました。国内では東京・京都に次いで、3番目の設置でした。 当初は官僚養成のための法学部設置が急務とされていましたがが、大戦の影響により経済学の重要性が認められ、またデモクラシーや人文主義の波が高まりも後押しとなって、 法学、文学、経済学の3学部を融合した学部の構想が生まれました。法文学部設置当初は、憲法学(1)、民法学(1)、経済学(1)、史学(2)、哲学(1)、印度学(1)、 心理学(1)の8講座が置かれました。 敷地と建物は第二高等学校のものを継承し、必要に応じて改修や増築が進められました。本石碑は法文学部創設50周年を記念して、昭和47年に建立されたものです。
【碑文】
法文学部発祥之地
東北帝国大学法文学部は、大正十一年八月二十八日総合的な特色ある学部としてこの地に創設され学制改革の行なわれた昭和二十四年に、文学部・教育学部・法学部・経済学部の四学部に発展的に改組された。その後の四学部の充実と繁栄の経過は、もとより法文学部時代の歴史を無視して語ることはできない。
今や四学部は川内地区に移転することとなった。時あたかも法文学部創設五十周年にあたりこの発祥の地を永世に伝えるべくここに記念の碑を建立する。
昭和四十七年八月
東北大学法文学部五十周年記念事業委員会