金起林 記念碑

公開施設、記念碑等

昭和30年代前半頃撮影

金起林 記念碑

金起林(キム ギリム)は、韓国の代表的モダニズム詩人・批評家であり、1936年(昭和11年)に東北帝国大学法文学部英文学科に入学し1939年(昭和14年)に卒業した本学の同窓生になります。
1998年(平成10年)の日韓共同宣言から20周年にあたる2018年(平成30年)11月に、日韓の研究者や市民グループが中心となり、本学片平キャンパス学徒記念公園内に金起林記念碑が設置されました。

【碑文】
金起林 記念碑

海と蝶
誰も彼に水深を教えたことがないので
白い蝶は海がすこしも怖くない
青い大根畑とおもって飛んでいったが
いたいけな羽は波に濡れ
姫君のように疲れ果ててもどってくる
三月の海は花が咲かずやるせない
蝶の腰に真っ青な三日月が凍みる

【原典、金起林 新文化研究所、1946年】
【和訳、青柳優子編著「朝鮮文学の知性 金起林」新幹社、2009年】


建立趣旨
近代という荒波を越え大海原に向かった一羽の蝶、
金起林(1908-?)

詩人であり、評論家でもある金起林は1908年、韓国の朝鮮咸鏡北道鶴城郡(現、北朝鮮金策市)で生まれた。ソウルの普成高等学校を経て日本大学文学科(文学芸術専攻)で修学した後、 「朝鮮日報」の社会部記者になった。1936年、東北帝国大学法文学部英文科に入学し、土居光知教授などの指導の下で、西欧モダニズム文学について学んだ。1939年の卒業後、ソウルに 戻って再び記者に復帰、翌年新聞が廃刊されたため故郷に帰って教師になった。終戦後、ソウル大学国文科教授を務めながら文学創作活動を再開した。1950年朝鮮戦争の勃発後、生死不明のままである。
彼の文学には、朝鮮モダニズムの独自的な発展に対する信頼と、時代克服への願いが込められている。「海と蝶」は、仙台を離れる1939年春に書かれた詩であり、困難な情勢の中でも 希望を模索する強い意志が読みとれる。金起林が修学した東北大学の校庭にこの碑を建て、自らを一羽の蝶に託しながら荒波に抗して平和の大海原に向かった彼の志に寄せる。

小渕恵三・金大中共同宣言20周年の年、
2018年11月30日
詩人金起林記念碑建立委員会

デザイン 金玟秀(大韓民国ソウル大学デザイン学部教授)
制作 大誠石材(大韓民国)

関連情報

アクセス

D 学都記念公園 南側