平成20年度公開講座

平成20年度 公開講座

平成20年度公開講座
「ミュージアムトーク2009 先史学フロンティア」

2009年2月21日から3月14日までの毎週土曜日、自然史標本館において「先史学フロンティアミュージアム・トーク2009」を開催しました。「先史学フロンティア」の展示にともない、総合学術博物館の本年度公開講座として開催されたものです。

第1回「サハリン調査、その後の70年」

東北大学大学院文学研究科教授 阿子島 香

東北大学大学院文学研究科教授 阿子島 香

総合学術博物館では、2009年度公開講座として、2010年2月27日から3月20日までの毎週土曜日に、東北大学理学部自然史標本館および合同棟において、ミュージアム・トーク2010「アジア大陸を歩く」を開催しました。

アジア大陸は、約6億年以上前の先カンブリア紀からあった古い大陸の破片が集まったモザイクとなっています。この巨大大陸は、南半球にあったゴンドワナ大陸から古生代中頃以降に何回かに分かれて分離した大陸片が北上し、北半球にあったシベリア古陸に衝突することによって成長してきました。

ミュージアム・トークでは、当館館長の永広昌之教授の最終講義をかねて、このアジア大陸の形成の歴史を4回にわけて紹介しました。自然史標本館の展示室を会場として、講演者と受講者との距離をできるだけ近く感じてもらうために1回につき30名までの少人数での開催を企画しましたが、大変嬉しいことにいずれの回も募集定員を大幅に上回る応募がありました。
そこで第1回~第3回については同じ講座を同日午後1時からと3時からの2回おこなうことで、なるべく多くの方にご参加いただく努力をしました。それでもなお定員を上回り、お申し込みをお断りさせていただくこともありました。ここにお詫び申し上げます。

第2回「山内清男博士が編んだ縄文文化の時間」

東北大学大学院文学研究科研究助手 市川 健夫

東北大学大学院文学研究科研究助手 市川 健夫

山内清男は、遺物の分析から当時の人の営為をさぐるという行為を科学的に貫徹した研究者です。

講演では、山内が松本彦七郎の土器文様の分類や層位学的方法を積極的に導入し、全国に散在する多様な土器群の様相に対してその秩序を与えることで、縄文文化研究の道筋を作っていったことをわかりやすく話されました。
とくに宮城県大木囲貝塚、岩手県大洞貝塚の発掘でえられた資料を使用して東北地方の縄文土器編年をおこなったこと、その時間的尺度、研究方法、概念、枠組みがどのようになされたかなどを説明し、また、本学の喜田貞吉とのミネルヴァ論争にみられる、当時の日本考古学における常識や体質を紹介して、山内がその後の日本考古学に縄文土器研究のあり方や指針をどのように示したかを説明しました。

第3回「骨に語らせるということ」

東北大学大学院医学系研究科助教 瀧川 渉

東北大学大学院医学系研究科助教 瀧川 渉

大正から昭和初期にかけての約20年間(1914~1938年)、東北帝国大学には気鋭の人類学・先史学研究者が2名在籍していました。医科大学解剖学教室の長谷部言人と、理科大学地質学古生物学教室の松本彦七郎です。
講演ではこの二人の活躍ぶりにスポットをあてて、当時の研究の流れを解説しました。

長谷部は、医学部で培ってきた肉眼解剖学と形質人類学を基盤に、現代人の身体的特徴のあり方や遺跡から出土する石器時代人骨の形態の分析などをつうじて、日本人の起源に関する当時の考え方に一石を投じ、新たに「変形説・移行説」を提示しました。
教授就任後は、副手に山内清男を迎えて各地で発掘作業を実施し、土器や骨角器、動物遺体といった考古遺物からも当時の人類活動に関する手がかりをえようと奮闘しました。

松本は、動物分類学を出発点に、初めて詳細な土器の型式分類を試み、その紋様構成の系統について進化論的な新しい見方を示しました。
また、地質学における分層発掘の方法を取り入れ、堆積層によって土器の紋様・厚さ・器種の構成比が異なってくることを見出し、日本最初の層位学的な研究を実施しました。石器時代人骨や古人類、ゾウなど大型哺乳類の化石研究にも精力的に取り組みました。

第4回「旧石器時代を切り拓く-芹沢長介教授と日本の旧石器時代研究-」

東北大学総合学術博物館教授 柳田 俊雄

東北大学総合学術博物館教授 柳田 俊雄

芹沢長介は1949年に岩宿で発掘調査をおこない、日本に旧石器時代が存在することを証明しました。以降、芹沢はつぎの四つのテーマをかかげて研究をすすめました。①旧石器時代の編年を探る研究、②縄文文化の始源を探る研究、③日本列島の最古の人類遺跡を探る研究、④石器の機能を探る研究です。

講演では、芹沢が東北大学に赴任する前の後期旧石器時代遺跡の調査、本学赴任以後の前期旧石器時代遺跡の発掘等を紹介し、その資料について説明しました。
研究を進めるにあたって、芹沢はつねに遺跡を発掘調査して資料を獲得し、層位的に出土したものを基準に観察・検討することの重要性をも説いていました。
このような方法で構築された日本旧石器時代の編年観やその特色がどのようなものであったかについても解説しました。